逆境を這い上がり遅れて世界を獲った男、八木雄一

八木雄一は気がついた頃から陸上に没頭していました。長距離マラソンの選手として、いくつかのタイトルも獲得したことがあるなど、八木雄一の半生は陸上とともにあったと言っても過言ではありませんでした。学生の頃からその高い運動能力は着目され、周囲は「将来はオリンピック選手か!?」と期待を寄せていました。

しかし、八木雄一自身は冷めたもので、自身のピークがやがて訪れて過ぎ去ってしまうことを予感していた彼はマラソン選手としての道を進まず、一般企業に就職を果たします。周囲はしきりに残念がりましたが、そういった感情に流されることなく、八木雄一は実に堅実な人生を歩んでいきます。28歳で社内恋愛していた今野明子と結婚し、その後一男一女をもうけ、郊外のマンションで慎ましやかな生活を送りました。

八木が退職後、62歳の時に唐突にその慎ましやかな生活に激震をもたらす変化が訪れます。八木は脳腫瘍を発症して倒れてしまったのです。幸い腫瘍は悪性ではなかったのですが、脳神経を圧迫し、運動機能に麻痺が生じてしまいました。特に足の麻痺は深刻で、動かしづらくなった足を見た八木の落胆は非常に大きなものでした。10代では将来はオリンピック選手かとも言われ、就職後も営業で駆けずり回った際に自分を支えてくれた足、それが言うことをきかなくなったという失望感から、八木は当初まともに言葉も出すことができないほどでした。

そんな八木を支えたのが、リハビリ療法士であった娘の美沙でした。彼女はつきっきりで父親のリハビリにつきそい、常に「お父さん、また走れるようになるよ!」と励まし続けました。最初は自暴自棄のようだった八木も、娘の真摯な姿勢にほだされて真剣にリハビリに取り組むようになりました。彼の足が再び思い通りに動くようになるまでには、実に足掛け5年の歳月と多大な労力が必要でしたが、その間八木は再び走ることへの情熱を抱くようになっていきました。

麻痺の影響で若干足を引きずるような動きは残ってしまいましたが、長距離を走る際には全く影響がなく、八木は齢70歳目前にして再びマラソンの世界に飛び込みます。次第にフルマラソンの大会にも出場するようになり、マスターズ部門で上位入賞も果たすようになりました。そして、彼が73歳の時に国際マラソンのマスターズ部門で優勝を果たします。周囲が嘱望した「マラソンチャンピオン・八木雄一」の名は、実に半世紀以上の時を経て実現することとなったのです。

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